平等院と末法思想
10円玉の表に描かれているお堂、世界遺産で国宝の京都宇治にある「平等院鳳凰堂」は、平安時代、時の関白藤原頼通により1053年に建立されました。当時は「阿弥陀堂」と呼ばれていました。平等院は現在単立寺院で特定の宗派に属していませんが、かつては天台宗と浄土宗でした。平等院は西方極楽浄土をこの世に再現したような作りになっています。西方極楽浄土の教主の阿弥陀如来を拠り所にした平等院。
奈良時代から平安時代には、疫病や飢饉、大地震が起こり聖武天皇は、仏の力を借り、国分寺や国分尼寺を各地に建立、奈良の大仏で有名な東大寺、そして法華寺を建立しました。いつの時代も大変な事が起きて人々は悩み苦しんでいたことが伺えます。平等院が建立された時代背景には、この様な権力争いだけでなく疫病や飢饉、大地震などが起こり、仏教思想である「末法思想・末法の時代」に入ったといわれ人々は不安な日々を過ごしました。
阿弥陀如来への信仰は、現代に伝わっております。平等院が建立されてから1000年近く時が流れ科学技術や医学が進んでも、新型コロナウイルスという疫病や地震などの震災が起こり、悲しいことや辛いことは全て消え去ることはありません。当山では仏教の学びと実践を通して、様々な時代の変化に対応できるような心づくりを大切にしていきたいと思います。
【三時・末法思想】
一、正法(しょうぼう) 500年間
釈尊の入滅の後しばらくは、釈尊が説いた通りの正しい教えに従って修行し、証果を得る者のいる正法の時代が続く。
二、像法(ぞうほう) 1000年間
しかしその後、教と行は正しく維持されるが、証を得る者がいなくなる像法の時代。
三、末法(まっぽう) 10000年間
さらには教のみが残る末法の時代へと移っていき、ついには法滅に至るという。
法然は『選択集』の第一章に道綽の聖浄二門判を掲げて浄土宗の立教開宗を宣言し、また第六章に、末法の一万年のみならず法滅の後百年まで浄土門の念仏の教えは残ると説く。